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2005年10月02日

実況LIVE マーケティング実践講座


実況LIVE マーケティング実践講座

須藤 実和

この本の表紙に書いてある通り、「とにかくわかりやすい」です。(笑)

マーケティングはすべてのビジネスパーソンにとって必須です。
実際にマーケティング部門に関わっていない人にとってさえ、マーケティングを意識して活動することで仕事のアウトプットに付加価値を与えることができます。
製造部門であろうが、研究開発部門であろうが、人事部門であろうが、経理部門であろうが、必ず役に立ちます。
ただし、マーケティングの理論をどのように工夫するかはコツがいりそうです。
例えば、パーソナルブランディングにも役立つかもしれません。

マーケティングの教科書と言えば、コトラーの『マーケティング原理』が有名です。
ところが、これは非常に分量があります!
電車の中でさくっと読めて、エッセンスがぎっしりのものはないかなと思っていたら、この本に出会いました。
普段マーケティングにあまり関わっていない人やこれから関わる人にとっては非常に分かりやすいです。
具体的な商品をとりあげながら、マーケティングのさまざまな手法がよく理解できます。
最後にはサントリーのDAKARAを例にあげた演習問題まであって、自分の頭で考えて進められました。(しかも読んだ後に思わずDAKARAを買ってしまいました)

もちろんマーケティングの手法は理解できましたが、それよりも著者の定義するマーケティングの目的について非常に印象に残りました。
(私が不勉強なだけかもしれません。。。)
マーケティングとは、突きつめると、”顧客を魅了する(attract)する”活動であるといえます。そして、その難しさは、人の心の琴線に触れるというエモーショナルな側面と、きちっと持続的に成長し、利益を上げていくという合理的な側面を持ち合わせていなくてはならないところにあります。
したがって、感性とロジックをうまく組み合わせながら、自社の強みと顧客のニーズ(潜在ニーズ)をマッチさせる方法を探索することが重要です。
優れたマーケッターはマーケティング活動の醍醐味を”顧客のハートをつかんだことを実感した瞬間だ”と言います。

マーケティング活動とは、「顧客と企業の満足を両立させる良循環モデルを築く」ことともいえることがわかります。

企業の満足と顧客の満足は、一見、トレードオフの関係にあるものですが、マーケティング活動は、この2つを両立させることを狙うものです。

自分たちの思い込みで作ったものを売り込むのではなく、顧客が欲しいものを売る仕組みをつくる。それがマーケティング活動ということになります。
目的をしっかり抑えておけば理論におぼれることはありません。
「次工程をお客様」と考えれば、「顧客が欲しいものを売る仕組みをつくる」のはどんな仕事においても大切な考え方です。
ここに、マーケティングが活用できそうです。

周囲の人を”魅了する”人でありたいものです。
posted by ミズモト at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

フランクリン自伝


フランクリン自伝

フランクリン

アメリカ資本主義の父、ベンジャミン・フランクリン。
アメリカ独立に多大な貢献をしたのは有名な話ですが、元々は印刷業で成功を収めたようです。

愛・地球博のアメリカ館ではフランクリンについて紹介されていましたね。
私はトヨタグループ館に長時間並んでいたため、見逃してしまいました。残念!(笑)

貧しい家庭に生まれながら、ビジネスで財をなし、科学者として雷の研究で成果をあげ、政治家としてアメリカ独立を果たしたのは、すべて幼い頃から良い習慣を行い学び続けた結果です。
本書からは、運や天賦の才だけでない、運命を切り開くために必要なことが見つかります。
幼い時から私は本を読むのが好きで、わずかながら手に入る金はみんな本代に使った。
成功者は皆勉強家です。
特に貧しいうちは本からほとんどの知識を得ています。
ベンジャミンも例外ではなく、ほとんど本からの独学だけで、科学者としても超一流の域にまで達しています。

この事実は大いに励みになりました。
この世に本は膨大にあります。
とても読みきれるものではありません。
だから、人生に悩んでいるとき、目的が見つからないとき、行き詰っているときに指標となる本がどこかにあるはずです。
本を読み続けることで、指標となる本が必ず見つかります。
私にとって、本書はそのような本です。
ベンジャミンの習慣、生き方をモデリングの対象に(勝手に)しています。

第 一節制飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
第 二沈黙自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
第 三規律物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第 四決断なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第 五節約自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
第 六勤勉時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
第 七誠実詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。
第 八正義他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第 九中庸極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎しむべし。
第 十清潔身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第十一平静小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
第十二純潔性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
第十三謙譲イエスおよびソクラテスに見習うべし。
私はこれらの徳がみな習慣になるようにしたいと思ったので、同時に全部を狙って注意を散漫させるようなことはしないで、一定の期間どれか一つに集中させ、その徳が修得できたら、その時初めて他の徳に移り、こうして十三の徳を次々に身につけるようにして行ったほうがよいと考えた。

私は小さな手帳を作り、それぞれの徳目に一ページずつ割り当てた。

徳を習慣づけるベンジャミンのやり方は非常に有用です。
ベンジャミンといえども、はじめからよい習慣を持っていったのでなく、このような努力があったのが分かります。
これがフランクリン手帳の原型になったのでしょう。
フランクリン手帳を買わずとも、市販の手帳で十分実践可能です。
早速まねして、よい習慣、よい徳を身につけたいと思います。

自伝を通して、良い習慣と学び続けることの大切さが伝わってきます。
これからも学び続けることを改めて決心しました。
posted by ミズモト at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

外資と生きる


外資と生きる―IBMとの半世紀 私の履歴書

椎名 武雄

IBMといえば、コンピューターの市場そのものをつくってきた世界的な超優良企業であり、典型的なアメリカの企業です。
しかし、日本IBMは米IBMの100%子会社ながら、実に日本的です。
あまり知られていないかもしれませんが、日本でのローカルな社会貢献を非常に多く行なっています。
福利厚生も終身雇用制も他の日本の優良企業と比べても決してひけをとりません。
個人的にはソニーの方が、外資からイメージされる企業に近い気がします...。

これは今で言う「グローカル」の考え方そのものですね。
IBMは何十年も前からこの思想を持っていて、著者がこの思想を継承して今の日本IBMがあるのだと思います。

戦後まもなく、外資がまだ日本であまりイメージのよくない頃、著者がいかに苦労したかよく分かります。
それと同時にいかに信念をもって、日本のためを思って日本IBMを経営してきたかも分かります。
日本人社員と話しながら、親会社のアメリカ人幹部と戦い、日本企業を守ろうとする官僚と協調してきた姿が目に浮かびます。
外資100%の日本IBMがあったからこそ、今の日本の半導体産業の興隆があるのでしょう。

椎名武雄氏は、外資を日本に根付かせるという形で国際化を推進した数少ない人物です。
今の、そして今後の日本の国際化のあり方を考えさせられました。
posted by ミズモト at 18:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

ジョブズの卒業祝賀スピーチ

Apple社CEOスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の2005年6月12日の卒業式で行った、祝賀スピーチが話題になっています。
ブログや電子メールで世界中に広まり、日本では、市村佐登美が翻訳しとむさとうが配信しています。

Apple社創立者であり、iMacやiPodでヒットを飛ばしてApple社再生の立役者でもあるジョブズ氏の言葉は、やはり胸に響くものがあります。
人生の点を大切に生きて、点と点を結んでいく生き方はジョブズ氏の生き方そのものですが、これまでの人生を振り返ってみると私(だけでなく万人)にもあてはまる生き方です。
「今を生きる」のが人生で一番大切なことですね。そして過去を未来につなげていく...。

実に感動的なスピーチでした。

Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)



ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404



 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ
一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
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2005年09月15日

東欧チャンス


東欧チャンス

大前 研一

日本人にとってあまり馴染みのない中・東欧。
世界史で出てくるオーストリア帝国や音楽をイメージするのがせいぜいです。(少なくとも私にとっては...;)

BRICsが注目されている今、東欧に目を向けこれだけのことを調査したのはさすがです。
鉄のカーテンがなくなり、EUに加盟することを考えるとチャンスが広がるのはヨーロッパ先進国にとっては当然なのかもしれません。
アジアにとっての中国にあたるのでしょう。

私が興味を惹かれたのは、個々の国の実態ではなく、著者が実際に現地を歩いて回ったという事実でした。
勉強を行なうのに現場から徹底的に学ぶ姿勢を感じました。
本から得る知識はもちろんですが、自身で経験したことを自分の頭で考えることでオリジナルな発想が生まれるということです。
「東欧チャンス」の発想の原点はまさにここにあると思いました。

ところで、大前氏はいろいろなところでチェコを旅行先として勧めています。
プラハはヨーロッパで一番きれいだと評判です。
私は仕事でアジアを中心に世界中をまわっていますが、チェコは残念ながら行ったことがありませんでした。
いずれ旅行で訪れたいと強く思いました。もちろん勉強も兼ねて...。
posted by ミズモト at 00:32| Comment(1) | TrackBack(2) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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